「翠霞の易サロン」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、周易の解釈って、実はけっこう感性&価値観が出るよね――みたいな話をしていきます。
今回は、三国魏の王弼・北宋の蘇軾のちがいを例にしていきます。わたしの感覚だと、王弼は老子的、蘇軾は荘子的なんですよね。ちなみに、この老子・荘子はどちらも道家ですが、実はかなり雰囲気が違います(こちらは福永光司『荘子 内篇』の解説をもとにまとめました)
老子では、「大きい川と海は、下にある故に多くの谷から流れてくる水を従えている(江海所以能為百谷王者、以其善下之)」のように、穏やかで静かなことを重んじながら、「故に大国は小国を支えるようにして、小国を引き寄せ、小国は大国を支えるような様子で、大国の恩恵をもらう(故大国以下小国、則取小国。小国以下大国、則取大国)」のような、政治的な目的がある
荘子では、「天地の間に、私はひととき労するように生まれて、また休むように死していくのだから、天地は大きな炉の如くして――(大塊……労我以生、……息我以死。……以天地為大鑪)」のように、政治的な目的よりも、人間は天地のひとときの変化のひとつ――のような感覚がある
老子では、「多くの物が盛んに茂っていても、それはいずれ土に帰っていく(夫物芸芸、各復帰其根)」のように、根元を離れない姿を重んじているが、荘子では「やむを得ない中でも、みずからの心を欺かずに生きようとするのが、あるべき姿なのだ(託不得已以養中、至矣)」のように、流れる変化の中でも生きようとする姿こそ本来の在り方としている
こんなふうに、老子はとても静観気味で、荘子は変幻自在で渾沌とした川の中で生きるような人間観になっています(引用部は、上から老子66・61章、荘子 大宗師篇、老子16章、荘子 人間世篇より)
というわけで、いよいよ王弼と蘇軾のちがいをみていきます(王弼は『周易正義』、蘇軾は『東坡易伝』をみていきます。原文はあまりにも長くなるので略します)
困 上六
まず、王弼と蘇軾のちがいがすごくよくわかる例をひとつ(こちらは、沢水困の彖伝です)
彖曰:困、剛揜也。(沢水困とは、陽が覆い隠されること)
王弼:兌は陰、坎は陽なので、坎が兌の下にあるのが、陽が覆い隠されている様子。人に喩えると、良くない者によって路がふさがれていること
蘇軾:沢水困の陽爻は、いずれも初爻・三爻・上爻の陰爻に挟まれるようになっていて、陽が覆い隠されている
これをみただけでも、王弼はどちらかというと八卦の組み合わせ、蘇軾は爻どうしの関係でみているのが感じられます(もちろん、大きい傾向というだけで、例外はありますが)
そして、王弼は、卦全体の雰囲気の中で、六通りの在り方の正否をみていきます(このときに中・正・応・比などを用いていきます)
一方、蘇軾のほうでは、「沢水困では、陽爻を覆うように陰爻が置かれている」のように、爻どうしの役割が、毎回変わっていきます(もちろん中・正・応・比なども入っています。この多彩さが、すでに荘子的です♪)
というわけで、爻辞の訳にそれぞれの人間観が出ている例をいきます。
上六:困于葛藟、于臲卼。曰動悔、有悔、征吉。
王弼:葛藟(蔦葛)は、三爻の陰が応してないので、がさがさとした蔓草にふさがれていること。臲卼は、五爻の陽を踏みつけていて、ごつごつと痛いこと。なので「動くと、きっと悔いがある」と云いながら、悔いが生まれそうなことを思い尽して、そのあとに動くと良い。
蘇軾:蔦葛は、三爻の陰と絡みあって、間の陽爻を蔽いつぶしている様子。臲卼は、五爻の陽を踏みつけて、ごつごつと痛いこと。なので、この爻は「動くと悔いがある。きっと悔いがある」と云っているけど、実はここを離れてしまった方が良い。
まず、王弼はとても慎重で、まるで「のろのろとして冬の川を渡る前のようで、うろうろとして四方を恐れるような(豫兮若冬渉川、猶兮若畏四隣)」の老子15章みたいになっています。
逆に蘇軾は、「この世には間違っているもの、良くないとされる在り方など無いのだが――(無物不然、無物不可)」の『荘子』斉物論篇を思わせます。
あと、蘇軾の詞から慣用表現になっていった「天涯何処無芳草(世のどこにいっても春の美しい草はあるのだから、ここに拘らなくてもいい)」というのがあります。これは元々は「どこに行っても心を乱す春のあでやかな緑があるのだが――」の意だったのですが、誤用ver.のほうが荘子っぽいですよね(笑)
もう一つ、王弼では「蔦葛は、三爻の陰が応じてないので、がさがさとした蔓草にふさがれていること」みたいに、良くないものによって路が塞がれている様子(困)のひとつみたいになっていますが、蘇軾では「蔦葛は、三爻の陰と絡みあって、間の陽爻を蔽いつぶしている様子」みたいに、爻それぞれのキャラ・動きがみえる解釈になっています。
爻それぞれが多彩なキャラ・動きをみせるって、それぞれ雑多な変化になっている感がすごく濃くないですか。
萃 九五
つづいては、沢地萃の五爻です。こちらの萃は「集める」です。
九五:萃有位、無咎。匪孚。元永貞、悔亡。
王弼:五爻(王)にあるので「人を集める位がある(萃有位)」という。でも、四爻の陽が、下卦の陰爻三つをすべて連れているので、五爻は「信が得られない(匪孚)」。なので、みずから「いつまでも大いに正しく過ごせば、悪いことは起らない(元永貞、悔亡)」
蘇軾:五爻(王)にあるので、「人を集める位がある(萃有位)」という。でも、四爻の陽が、応している二爻と、比している三爻を連れているので、「私を信じずに(匪孚)」、四爻のほうに集まったものを「昔のごとくいつまでも四爻に従わせていれば、悪いことは起らない(元永貞、悔亡)」
これは、まぁ四爻の陽がどれくらいの陰爻を連れているかの違いはあるのですが、それよりも王弼は「みずから正しく過ごせば、悪いことは起らない」、蘇軾は「それぞれ好むものに従わせて生きさせれば悪いことは起らない」という理由が全然ちがいます。
しいて老子・荘子の中で、似ているところを捜してみると、王弼は「それを廃れさせたいと思えば、必ずそれを盛んにさせ、それを奪いたいと思えば、必ずそれを与えておく(将欲廃之、必固興之、将欲奪之、必固與之)」の老子36章みたいな消極系の静かな策ですかね。
一方で、蘇軾は「それぞれ異なっているものを、各々好きなようにさせて、それぞれの在り方をさせておく(萬不同、而使其自己也、咸其自取)」みたいな『荘子』斉物論篇をおもわせます。
なんとなくだけど、王弼ではみずから一人で完結する感じがあって、蘇軾って、まわりの複雑な豊かさをみている解釈といいますか……。
山風蠱
つづいては、山風蠱の卦をどのように解釈しているかの違いです。
彖曰:蠱、剛上而柔下。巽而止、蠱。
王弼:上に固い艮、下にやわらかく従う巽があるのが、山風蠱。上の令はどっしりしていて、下はするすると従うので、長年の腐敗を除きやすい。腐敗を除くときは、下のものが従いやすいときを選ぶ。
蘇軾:物は長年使っていないと、虫が涌きやすい。上は固く止まっていて(艮)、下は黙々と従うだけ(巽)のままでは、しだいに虫が涌くようになる。
蘇軾のこれ、初めてみたときけっこう笑ってしまった記憶があります(蘇軾の中でも、すごく好きな解釈でした)
王弼のほうでは、たぶん「大風はわずかに朝だけで、激しい雨も一夜きり――(飄風不終朝、驟雨不終日)」「よい時に動けば、争うこともなく、ゆえに憂いもない(動善時、夫唯不争、故無尤)」のように、長年の腐敗を取りのぞく隙を窺って、抵抗がないときを狙う――みたいな感じがあります(老子8、23章より)
一方の蘇軾では、荘子に似ているところは思いつかないのですが、この沈滞を嫌って、大きな変化こそが永遠の姿なのだ――という雰囲気が、荘子らしさをどこか帯びていませんか……。
未済 六五
というわけで、こちらで最後の例になります。
六五:貞吉、無悔。君子之光、有孚、吉。(正しくて吉、悔いも残らない。君子の光は、まわりを信じ合っていて、いいことが多い)
王弼:おだやかな陰爻が、五爻(王)になっている。みずからは動かないで、応じている二爻の陽が動くことになり、これこそが「君子の光」。
蘇軾:二爻の陽が応していて、四爻・上爻の陽が比している。この三つの陽爻は、それぞれ力を用いる先を捜しているので、わたし(五爻の陰)はその力を使わせてあげれば、みずから動かずして、物事が上手くいく。
これは、王弼だと二爻・五爻、蘇軾では二・四・五・上爻が関わっているという違いはありますが、わたしは蘇軾の「それぞれの爻に力を使わせてあげている感」がすごく印象的です。
これって、王弼は「重いものは軽いものの根になって、静かなものは動いているものの君主になる(重為軽根、静為躁君)」のような静かな策略らしさ、蘇軾は「身の丈ほどの大きいヒョウタンがあれば、舟のようにして川に浮かんで遊んで、わざわざ柄杓にしなくてもいい(有五石之瓠、何不慮以為大樽而浮乎江湖、而憂其瓠落無所容)」のような各々の味を生かす感があります(それぞれ、老子26章、荘子 逍遥遊篇より)
というわけで、こんなふうに感性・人間観が違っていると、同じ爻辞・卦などをみていても、全然ちがう解釈になることがあるので、自分に合いやすい感性をみつけておくと、納得できる占い方ができるかも……みたいに思えてきませんか(ちなみに、私はどちらかというと蘇軾が好き)
かなり微妙な違いを語りつづける記事になってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。