「翠霞の易サロン」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、周易の基本とされている「八卦」についてみていきます。八卦の意味って、なんとなく分かるけど、すごく微妙というか、曖昧な感じもどこか漂っていませんか……(実は私だけかもですが)
伏羲(中国上古の蛇神)が八卦をつくったときは、文字の代わりだったので、この世のすべてのものを八卦だけで表していた――とも云いますが、この八つだけで物事を表わすって、どういう感覚なのかな……みたいに思っていたので、今回はそのことについてになります。
核心イメージ
まず、乾(天)・兌(沢)・離(火)・震(雷)・巽(風)・坎(水)・艮(山)・坤(地)って、分かったようで、山と地って何が違うの……&水と沢(水辺)って一緒じゃないの……的な気分にもなってきませんか(私はすごく思いました)
これについて、かなり興味深い八卦の解説をみつけたので、すこし紹介してみます(紀藤元之介『易学尚占 活断自在』の53~72頁より)
まず、乾らしい人物として「君子」というのをあげています。ですが、離らしい人物としても「君子」というのが上がっています。
さらに、坎らしい人として「水商売の人」がでてきます。ですが、兌らしい人としても、同じく「水商売の人」がでてきます。
これ、どういう基準のなのかすごく謎かもですが、実はたぶん「乾の君子」は濁りのない天の如き内実の君子、「離の君子」は明々と煌く焔のようなきらびやかな礼式の君子――というニュアンスなのだと思います。
同じく、坎(深く険しい水)らしさは、どこか薄暗い人情に通じているようなところ、兌(浅くて明るい水辺)らしさは、ひとときばかり楽しませるのが上手い雰囲気――みたいな違いなのかもです。
もう一つ、坎では「参謀・哲学者・毒をもつ人」などがあげられていますが、いずれも薄暗く険しいことに通じている人――というのが核心にありそうです(参謀は人をあざむく計略を好み、哲学者は人のこころの薄暗い面をみつめていて、毒をもつ人は依存症にさせたり痺れさせたりみたいな暗いことを好む)
一方で、離では「貴族・学者・ファッションモデル」などがそれらしい人物として出てきますが、いずれも“華やかな文化をまとっている人”というのが、核心にありそうです(さっきの「君子」も、儀礼・作法などをとても重んじる君子らしい所作――が近いかもです♪)
こういうふうにみていくと、実は八卦それぞれの核心イメージみたいなのがあって、現実世界のものの中で、似ている性質を感じられれば、同じ「君子」でも、内実の君子(乾)と礼の君子(離)みたいに全然ちがう八卦になりそうです。
というわけで、八卦それぞれの核心イメージについて、みていきたいと思います。
乾:歪みなく欠けのない玉
乾は「天」みたいに云われますが、“高らかで澄んでいて、濁りのない感じ”が近いです。
大きくて、やや寄り付きづらくて、それでいて円満な秋の終わりの冷たくて大きい空をイメージしていただけると近いかもです。
人物でいうと、王・将軍・上官など、馬でいうと筋骨の引締まっている名馬、ものでいうと堅い金属だったり、りらりらと澄んでいる石とか、なんとなく金属質なオーラをまとっていそうなもの全般です(笑)
でも、トゲトゲしいというより、自己完結していて完璧に閉じている――みたいなニュアンスが入ります(いい意味で過不足なく十分なバランス感というか)
坤:もったりと柔らかく含みこむ
坤は「地」ですが、“やわらかく多くの植物を育てているゆたかな地”というのが、なんとなくのイメージです。
さっきの乾が王だとしたら、こちらの坤は支える臣です(坤は劣っているわけではなく、むしろ支えることに優れているイメージ)
乾が澄んでいて濁りがない感じだとしたら、坤はもったりと併せ呑むふくみ、乾がみずからキラキラ耀く玉だとしたら、坤はみずから光っているというより、まわりのものを耀かせている豊かさです。
かなり癖のある喩えをすると、密教のマンダラで、金剛界は乾、胎蔵界は坤です。知らない方のために一応解説しておくと、密教(仏教の一派)では、インドの雑多な神々も取り入れた胎蔵界マンダラ(やや左右非対称&神名が未整理)、その雑多なインドの神々も完全に密教ふうの神名に整理して、きれいな数に整えられた金剛界マンダラがあって、坤っていい意味で清濁混合な感があります♪
あと余談ですが、「金剛界」って未整理な矛盾をすべて整え終わっている秩序の堅さ、「胎蔵界」って、いくらかの雑多さも蔵しておく――みたいな語感なので、そこも似ています。
震:激しく切り裂く雷
震は雷とされますが、ただの雷というより「春の夜を切り裂いていく激しい雷」です。もったりと溜まったような、ややぬるいような春のうすら冷たさをべきべきと割っていくするどさが「震(激震)」です。
乾の安定感にくらべて、震は圧倒的に攻撃特化だとおもってください(笑)外に向かってばきばきと激しく吐き出していく凄まじさが、震の核心イメージになります。乾の名馬にくらべて、こちらはやや気性の激しさと若い勢いが入っています。
急展開っぽいスピード感も、震らしさになっています。春はいろいろなものが育っていく季節ですが、春雷をあびながら漲るような青さを帯びている春草も、震の勢いっぽいです。
巽:くねくねと長い蔓草
巽は「風」といわれるけど、どちらかというと狭いすき間にもするするとなめらかに入っていくそよ風が近いです。
震がまっすぐにばきばきと延びていく竹のような勢いだとすると、巽は狭いところでもくねくねと曲がりながら入りこんで絡んでいる蔓草のような柔らかさです(坤の「中に含んで育てる感」は無いです)
巽はやわらかく合わせていく――が基本イメージなので、商人・話し合いみたいなことも入ってきます。まわりに塀があったり、フェンスがあっても、くねくねするすると形を変えていく藤の蔓みたいなこと全般が「巽」だと思っていいかもです。
坎:深い凹みに溜まっている暗い水
坎はもともと「凹み」の意なので、険しく痩せた山の間にどんよりとたまっている深くて暗い水です。
なので、水そのものというより薄暗さ・険悪さ・酷薄さみたいな雰囲気をまとっているもの全般が、こちらの坎になります。
色でいうと濁った鈍さというか、がりがりと不気味なほどに痩せていて、うすら淀んでいる沼みたいな感じをイメージしてください。震が攻撃特化だとしたら、坎は毒とか搦め手を多用してくる系ですね。
地形でいうと、水の有無にかかわらず、痩せてするどい崖だったり、石だらけの傾斜地などが坎(険しい凹み)、人物では策士・ホステス・宗教家みたいな人情の薄暗さに通じている人が、さっき書いた如く入ってきます。
離:きらきらと明るい工芸ランプ
離は「火」と云われるけど、火の煌めきというか明るさが「離」です。
ちなみに、「離」は「離れる」というより、罹患の「罹(り)」みたいに「引っかかる」という雰囲気があります(遠くに離れているというより、ちらちらと火が延び縮みしながら燃えているみたいな様子です)
なので、人物でいうと、さっき書いたように貴族・学者・ファッションモデル・社交的な人……みたいに、外に向けてきらきらと華やかな感じを帯びている人全般になります。乾の装飾品が、そもそも重厚な金でできている故の高貴さだとしたら、離の装飾品はもっときらびやかな加工や作りこみが美しい――というニュアンスです(乾は内実、離は外面の美しさです)
色でいうと、明るい光沢をまとっていて、しかも濃やかな模様があって、複雑な色味が混ざりあっていて……のような雰囲気が離だと思ってください♪
艮:ごっつりと堅い巌
艮は山ですが、しいて云うなら「ごつごつ固くてどっしり頑丈な巌山」ですかね。
なので、固くて頑丈――というニュアンスがあるものは、すべて艮になります。がたがたと険しい山は、険しく危ない雰囲気を感じているときは「坎」、要塞のように改築されて頑丈さを感じるときは「艮」になります(たぶん笑)
というわけで、壁だったり、垣根だったり、固めている系のものはいずれも艮ですし、古式ゆかしい雰囲気も艮です。ちなみに、同じ城郭でも、艮は実用的な山の要塞、乾は天守閣のあるような堂々たる雰囲気を感じさせます。
坤との違いとしては、坤は含みこんで何かを育てる感がありますが、艮はどっしりと固く閉ざしている感があります。
坎は険しさ、艮は頑丈さ、坤は柔らかい土、艮は大きい巌だらけの山なので、艮は防御特化ですね(まぁ、幾つかの属性を兼ねている物も、現実世界にはいろいろありますが……。同じ山でも紅葉が綺麗な山は、たぶん離になります)
兌:きらきらと浅い水辺
兌の「沢(水辺)」って、坎(水)と何が違うの……と思うかもですが、坎の水は見ていてぞっとして、兌の水って、みていてきれいで癒されるみたいな感じです(兌は悦だと思ってください。同じ水商売の人でも、坎は薄暗い感情をみていて、兌は楽しませるのが得意的な……)
兌はきらきらと明るい湿原にきれいな花がたくさん咲いていて、あちこちみていて飽きない……みたいな気分が近いかもです。
ちなみに、離は人工的にきちんと作りこまれた装飾美なので、すごく大雑把に云ってしまうと、離は綺麗、兌はかわいい寄りかもです。
というわけで、八卦の核心にあるイメージについて私なりにまとめてみました。まぁ、これが全てではないと思いますが、八卦の意味が整理できないときに、少しでも参考にしていただけたら嬉しいです。
かなり独自な解説になってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。