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こちらの記事では、『東坡易伝』での雷山小過の解釈をのせていきます。小過って、「少しだけ行き過ぎている」or「小さいものが蔓延り過ぎている」の二通りがよく出てくるので、かなり解釈が難しいイメージがあるのですが、蘇軾はかなり筋が通った解説をしています。
全体の意味
まず、蘇軾は小過は「小さいものが蔓延り過ぎている」としています(同じく沢風大過は、「大きいものが力を得過ぎている」としています)
雷山小過では、陰爻が初・二・五・上にあって、陽爻が中を失ってわずかに三・四爻に挟まれるようになっています。
そして、彖伝では「飛鳥の象」と云っているのは、陰爻が両翼になっていて、陽爻はわずかに鳥の胴体で、ほとんど陰爻の羽が主導権をもっている――みたいな様子です(逆に、沢風大過は、陽爻が大きいものとして二・三・四・五爻を占めていて、陰爻が外に追いやられています)
なので、小過のときは、小さいものが蔓延りすぎていて、臣(陰爻)のほうが強くなっています。
初六
初六:飛鳥以凶。
象曰:「飛鳥以凶」、不可如何也。
爻辞:飛ぶ鳥は、羽にあやつられるので良くない。
小象伝:「飛ぶ鳥は、羽にあやつられるので良くない」とは、どうにもできないこと。
初六は、小過全体を鳥のように見立てたときに、羽のようになっている陰爻の先にあります。なので、まだ小さい初爻だとしても卦全体を動かしてしまいます。
原文の「以」は、「~~によって……する」の動詞化ver.です(「羽によってその身を動かす」みたいな雰囲気を、無理やり「以」だけで示しています。先秦の文章って、実はこういうかなり無理やりな詰めこみ方が多いです)
というわけで、初六はまだ小さい陰爻でも、羽の先のようになって、全体を動かしてしまう陰――という感じです。
六二
六二:過其祖、遇其妣。不及其君、遇其臣。無咎。
象曰:「不及其君」、臣不可過也。
爻辞:父を通り過ぎて、母に挨拶する。君まで行かずに、臣に会う。まぁ、悪くはない。
小象伝:「君まで行かず」というが、臣が過ぎるのは良くない。
小過は、臣のほうが強くなっている世ですが、その中でも六二は、陰爻が偶数にあって、しかも中にあるので、力はあっても僭越ではない臣――みたいになります。
「祖」は父、「妣」は母なので、父(陽)を通りすぎて母(陰)に挨拶するor君(陽)まで行かずに臣(陰)に会うことなので、やや僭越かもしれない様子です。六二は力のある陰爻ですが、あまり僭越しない形を大事にする――みたいな雰囲気です。
九三
九三:弗過防之、従或戕之、凶。
象曰:「従或戕之」、「凶」如何也?
爻辞:通り過ぎていないけど塞いでくるので、ひとときは従っていても、場合によっては殺される。良くない。
小象伝:「場合によっては殺される」とは、とても凶なこと。
小過の卦では、初六・六二が臣になっていて、その君が九三です。さらに、六五・上六が臣になっていて、九四が君です。
なので、九三は陽爻が奇数にあるので、やや気性が激しく、六二が自分を通り過ぎていくと思って、その路を塞ぎます。六二はひとときは従っていても、もしかすると恨んで殺してくる(戕:殺す)というのが、とても凶です。
九四
九四:無咎、弗過遇之、往厲必戒、勿用永貞。
象曰:「弗過遇之」、位不當也。「往厲必戒」、終不可長也。
爻辞:悪くはない。臣が通り過ぎなくても道を譲る目に遭いがち。でも、通り過ぎると良くないので、かならず戒めて、いつまでもさせない方がいい。
小象伝:「臣が通り過ぎなくても道を譲る目に遭いがち」とは、偶数にある陽なので。「通り過ぎると良くないので、かならず戒めて――」というのは、いつまでもできることではないので。
九四は、陽爻が偶数にあるので、かなり大人しいタイプの陽(君)です。なので、目の前を臣が通り過ぎていっても、あまり気にしません。ゆえに、却って周りの臣たちは不遜なことをしてしまい、良くない目に会ってしまいます……。
なので、「いつまでもそれが正しいと思わない(勿用永貞)」というふうになっていて、まわりの陰爻(臣)たちを野放しにしすぎない方がいい――とされています。
六五
六五:密雲不雨、自我西郊。公弋、取彼在穴。
象曰:「密雲不雨」、已上也。
爻辞:大きく黒い雲がどっぷりと水をふくんで、西の郊にたまっている。大公は縄を投げて、穴のなかに潜んでいるものを捕える。
小象伝:「大きく黒い雲がどっぷりと水をふくんでいる」とは、天の高いところにある様子。
六五は、臣(陰爻)の中でも、もっとも位が高い陰爻です。なので、天の高いところにある雲に喩えられています。水をどっぷり含んでいて、まだ雨が降らない(密雲不雨)というのは、力のある臣が深謀を湛えていることです。
力のある臣(五爻の陰)は、大きくて黒い雲のように深い考えを湛えていて、西のほうから流れてきながら機会をうかがっていて、穴に潜んでいる余計なものを除く隙もうかがっています……(そんな感じで、余計な者を除いてこそ、臣の力が強い世が治まるという雰囲気です)
「密雲」だったり「公(大諸侯)」だったりと、わずかな中でつぎつぎに色んな比喩が出てきて、ちょっとわかりづらいのがすごく先秦らしいです。
上六
上六:弗遇過之、飛鳥離之、凶。是謂災眚。
象曰:「弗遇過之」、已亢也。
爻辞:悪事に関わったわけではないが鳥の羽がどこまでも飛んでいくので、その鳥は良くないところに行ってしまって、凶。これは天の災い。
小象伝:「悪事に関わったわけではないが鳥の羽がどこまでも飛んでいく」とは、すでに高く飛んでいる様子。
上六は、初六と同じく鳥の羽のさきにあります。小過の鳥は、わずかに端のほうで小過に関わっている上六も巻き込んでいるので、老臣のような上六は、僭越なことをしているわけではない(弗遇:悪いことに立ち会っているわけではない)けど、小さいものの行き過ぎにやはり連なっています。
なので、小過の鳥は、良くないところに引っかかるまで飛んでしまい(離:引っかかる)、これは上六のせいではないけど、天の災い(眚:災い)です。
端のほうでわずかに名を連ねているだけの老臣(上六)も、実は小過の両翼になっていたので、もはや戻れないところにいる(亢:高く上がる)――みたいな様子を喩えているのが、この爻辞です(すごく独特で難しい……)
蘇軾の小過は、全体が大きい鳥みたいにされていて、しかもその中でいろいろなタイプの臣がいて……みたいになっているのが、かなり面白いです(低い位なのに、力を持ち過ぎてしまう初六だったり、老臣としてなんとなく連なってしまう上六だったり……)