東坡易伝

沢地萃

「翠霞の易サロン」にご来訪ありがとうございます。

 こちらの記事では、『東坡易伝』での沢地萃の解釈をのせていきます。すごくどうでもいいけど、わたしはこの解釈って、すごく蘇軾らしくて大好きです。

全体の意味

 萃は、聚(あつめる)です。萃には、ふたつの陽爻(四爻・五爻)があって、残りの陰爻たちをまとめ上げています。

 九四は、応の初爻・比の三爻を引き入れます。九五は、応の二爻・比の上爻を引き入れています。そして、本来は王になるはずの五爻が、あえて四爻に従っているふたつの陰をそのままにしておけば、それぞれ大いに働いてくれる――としています。

 この「それぞれが自在にどこかに向けてながれていく中での一幕」という雰囲気が、すごく蘇軾らしい“雑多な自在さ”です♪

初六

初六:有孚不終、乃乱乃萃。若號、一握為笑、勿恤、往無咎。
象曰:「乃乱乃萃」、其志乱也。

爻辞:信じて集まっても背き離れる者がいて、それは“乱れつつ集まる”というもの。もし泣きながら一塊りに笑っているなら、その人はわたしを遮らないので、わたしが出かけても問題ない。

小象伝:「乱れつつ集まる」というのは、その心が揺れている様子。

 ここでは、九四と比になっている三爻は、応になっている初爻がいると気づいて、九四のところから離れていきます。そんなとき、三爻は楽しみで笑いながら集まってきたのに、帰るときは悲しみで泣いている――という感じです。

 なので、九四の応になっている初爻は、三爻に遮られることもないので、九四と無事に会える――みたいになっています。

六二

六二:引吉、無咎。孚乃利用禴。
象曰:「引吉無咎」、中未変也。

爻辞:引き入れられて集まるので、良い。向こうが信じて用いているので、上納金はわずかで可。

小象伝:「引き入れられて集まるので、良い」というのは、二爻が中にあって、大人しくて落ち着いているから。

 これは、九二が中にあって落ち着いている&陰爻が偶数にあって大人しいので、五爻から誘われてから集まってくる様子です。

 五爻から引き入れられて集まるので、誘うときに五爻はたくさんの俸禄を用意してくれて、こちらは働きで答えればいいので、上納金はわずかでいい――みたいな感じです。禴(やく)は、すごく簡素な祭りのことで、そんな祭りでのお供えのようにわずかな上納金の比喩です。

六三

六三:萃如、嗟如。無攸利、往無咎、小吝。
象曰:「往無咎」、上巽也。

爻辞:集まったけど、泣いて帰る。良いことがなかったので、遠い田舎に集まれば、まぁまぁ良いけど、ちょっと微妙。

小象伝:「遠い田舎で集まれば、まぁまぁ良い」というのは、上六がそれなりに受け入れてくれること。

 六三は、比になっている九四のところに行きますが、九四には応の初六がいるので、仕方なく六三は諦めて帰ってきます……。そして、代わりに応の位置にある上六に会いに行きますが、上六は応ではないので、まぁそれなりに泊めてくれるけど……みたいな感じです。

 ちなみに、小象伝の「巽」は、従う・受け入れるみたいな意味です。

九四

九四:大吉、無咎。
象曰:「大吉無咎」、位不當也。

爻辞:とても吉だったら、悪いことは無い。

小象伝:「とても吉だったら、悪いことは無い」というのは、陽爻が四にあるため。

 こちらの九四は、陽爻が偶数にあります。九五がもともとは全体をまとめるはずなのに、九四が並び立つ勢力として出てくるので、「とても吉だったら、(九五から恨まれないので)悪いことは無い」みたいな話です。

 逆に、とても良いものではなければ、九五から恨まれることになります(笑)

九五

九五:萃有位、無咎。匪孚、元永貞、悔亡。
象曰:「萃有位」、志未光也。

爻辞:集めるための位はあって、悪いこともない。でも、私のところに来ない者がいるので、いままで通りにさせておけば、これからも悪いことは無い。

小象伝:「集めるための位はある」と誇るのは、想いが耀き切らない。

 九五は、陽爻で五爻にあるので、全体をまとめるところに居ますが、九四に従っている陰爻もあるので、九五のほうに靡かない者もいます。でも、そういう陰爻は、いままで通り九四に従わせておいて、九四を重く用いれば、すべての爻が九五のために遠くで動いてくれます。

 ちなみに、「元永貞」のなかで、「元」は今まで通り、「永」はこれからもずっと、「貞」は好む人に従わせる――です。

 あと、逆に九五が位を誇って、九四を追い出そうとすれば、遠くで働いてくれる爻も切り棄ててしまうことになります……。

上六

上六:齎咨涕水夷、無咎。
象曰:「齎咨涕水夷」、未安上也。

爻辞:ずびずびと泣いている。まぁ、とても悪いことではないけど。

象曰:「ずびずびと泣いている」と云うのは、五爻の上にいるのが恐れ多いこと。

 上六は、九五の上に居座っている感が出てしまうのが畏れ多くて、ずびずびと泣いています(上爻は隠遁気分で、陰爻なので隠れていたいけど、九五から長老的に重んじられています)。でも、畏れ多いながらも、それなりに九五に協力してくれます(比なので。たぶん)

 というわけで、萃のいろいろな爻たちは、「集まる」という場面をさまざまな形で演じています。そして、各々が好むところに従わせておく――という雰囲気が、すごく『荘子』の雑多なままの多彩さを好む蘇軾らしい感じになっています。

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翠霞
周易が好きなので、いろいろな易の魅力を感じられるようなサイトにしていきます♪中国文学だったり漢服なども好きです

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