東坡易伝

沢水困

「翠霞の易サロン」にご来訪ありがとうございます。

 こちらの記事では、『東坡易伝』での沢水困の解釈をのせていきます。こちらは、いかにも蘇軾らしい独特な爻の関係が興味深いものになっています(蘇軾は、爻どうしの関係の様子で、卦の名前がきまっている――みたいに云うことが多いです)

全体の意味

 困は、彖伝にある「困、剛揜也(困とは、陽が覆い隠されること)」を全体の意味としています。

 そして、困では陽爻(二・四・五爻)が、陰爻(初・三・上爻)に隠されて挟まれている――としています。この“しんねりと飼い殺し”な感じが、「困」の停滞感&抑圧感というふうになります。

 ちなみに、このしんねり感が、どこか水のように冷たく淀んでいてひんやり濁って暗い世っぽいというか、卦が時代の比喩っぽくなるのも蘇軾に多いです。

初六

初六:臀困于株木、入于幽谷、三歳不覿。
象曰:「入于幽谷」、幽不明也。

爻辞:尻が固い棒の上で、暗い谷に入ったようで、三年出られない。

小象伝:「暗い谷に入る」とは、目の前に掛かりきりなこと。

 初六と六三はセットになって、九二を挟むように蔽っています。九二は中にあって陽爻なので、堅くて手強いです。なので、初六(下にあるので尻)は、堅い棒の上に座らされたようで、その痛みに耐えながら九二を蔽っています。

 また、初六は九四と応になっていますが、目の前の九二を蔽うことばかりに目が向いてしまい、まるで暗い谷に入ったようで、三年経ってもそこから抜け出せない……というのが、かなりクセのある比喩になっています。

九二

九二:困于酒食、朱紱方来、利用享祀。征凶、無咎。
象曰:「困于酒食」、中有慶也。

爻辞:酒食をふるまいながら蔽い隠される。そんなことをしていたら、紅い礼服の飾りが贈られてくるので、高官に任ぜられる。みずから任じられるために出ていくのは不遜かもだけど、まぁ志は悪くない。

小象伝:「酒食をふるまいながら蔽い隠される」というのは、中にあって良いこと。

 困の世では、陰爻たちに陽爻が蔽い隠されるので、どんなふうに結託している陰爻たちを御するかが大事になってきます。

 九二・九五は、いずれも中にありますが、九二は偶数、九五は奇数に陽爻があります。奇数(陽)の陽爻は強すぎてやや粗さもあって、偶数(陰)の陽爻は内面にしんねりとしたたかな強さを秘めています。そして、困(陰が優勢なとき)は、陰っぽいやり方のほうが向いているとしています。

 九二は、まわりの陰爻を御するために、酒食をふるまって喜ばせて引き入れていきます。一方で、九五はまわりの陰爻たちをあちこちで処刑して追い潰していきます。

 そして、九五はかえって恨みを買ってしまい、陰爻たちと上手くつきあっている九二に助けを求めます。というわけで、九二のところには「朱紱(紅い礼服の飾り)」が贈られてきて、高官に任ぜられて九五を助けることになります。

 その様子は、まるで九五からの祭りを受ける神霊のようでもあって、祭りは神が人に求めるものではなく、人間側が神に頼みたいことがあって行うものだから、九二側から九五に助けを云い出すのはやや余計(or僭越不遜)かもですが、まぁその気持ちは悪くないです。

 ……この解釈、すごいですよね。なんか、政略劇の一場面をみせられているみたいですごく不思議です(爻が生きているみたいだし、爻辞が戯曲みたい)

六三

六三:困于石、據于蒺藜。入于其宮、不見其妻、凶。
象曰:「據于蒺藜」、乗剛也。「入于其宮、不見其妻」、不祥也。

爻辞:石を押し抱えて、するどい菱の実に乗っている。その家では妻が居なくなったようで、良くない。

小象伝:「するどい菱の実に乗っている」とは、九二の陽の上にいること。「その家では妻がいなくなっている」とは、不祥の様子。

 これは、九四を「石」、九二を「蒺藜(するどい菱の実)」みたいに喩えています。六三は、九二・九四のふたつの陽爻に挟まれながら、それを蔽っています。ですが、宮廷内でこそこそと策略を弄するように、かなり危ういことを重ねながらぎりぎりで陽爻たちを出し抜いています。

 ですが、セットになって蔽っていたはずの上六は、応になっていません。なので、いまは組んでいるけど、いずれ離れやすい関係で、それが「家では妻がいなくなっている」です。

 というわけで、六三はいろいろな策略を弄して、間に入って陽爻を蔽っているけど、実はかなり危ういところです……。

九四

九四:来徐徐、困于金車、吝、有終。
象曰:「来徐徐」、志在下也。雖不當位、有與也。

爻辞:かなり遅れて会いに行くのは、堅い人に塞がれていたから。私としては残念だけど、こちら側はみんな喜んでいる。

小象伝:「かなり遅れて会いに行く」とは、初爻と仲がいいこと。正ではない陽爻だけど、やはり陽爻たちに味方している。

 これもかなり複雑な内面を感じさせる爻です。まず、九四は初六と応になっています。なので、初六に会いに行きたいが、初六と九二がしんねりと争っているので、九二に塞がれてなかなか会いに行けません……(九二は、堅くて下にあるので「金の車」です)

 初六となかなか会えないのは、九四にとって残念なことだけど、初六とあっさり結びつかれてしまうと、陽爻側(とくに九二・九五)は困るので、結果的に陽爻側(九四もふくむ)にとって役に立っています。

 すごく地味な話だけど、小象伝の「雖不當位、有與也(正ではない陽爻だけど、やはり陽爻たちに味方している)」から、ここまでの内面を感じさせる解釈になっているのがすごいです。初六と仲が良いけど、偶数(陰)にあるので、みずから強く動かないので、なかなか初六を引き入れずにいる――みたいなどっちつかずの陽爻側っぽい感じがあります。

 たぶん、やや陽爻側に属しているけど、陰爻側にもそれなりに仲がいい人がいて、なんとかその人だけ引き入れたいけど、まわりの目があって……みたいな様子です(この政略劇、設定細かすぎじゃないですか……)

九五

劓・刖、困于赤紱。乃徐有説、利用祭祀。
象曰:「劓・刖」、志未得也。「乃徐有説」、以中直也。「利用祭祀」、受福也。

鼻切り・足切りの形を用いすぎて、高位の礼服に驕る。ようやく喜ばせることを知りて、神を呼んで祀るごとし。

小象伝:「鼻切り足切り」をしていては、行き詰まってしまう。「ようやく喜ばせることを知る」というのは、中にあって行き過ぎに気づくこと。「神を呼んで祀るごとし」みたいになれば、福を受ける。

 九五は、まわりで抑えつけてくる陰爻たちを、鼻切り(四爻の頭が近くにあるので)・足切り(上爻の足が近くにあるので)して、ザクザクと高位の威権を奮っていきます。

 なので、「赤紱(高位の礼服の飾り)に驕る」というのが、陰爻たちを表立って刑していく様子です。あと、赤はふつうの赤色、朱は濃厚で厳粛な赤のことなので、九五はみずから「赤紱(紅い礼服の飾り)」と云っていて、九二は敬意をこめて「朱紱(厳粛な紅い礼服の飾り)」と云っています。

 ですが、そのような強権ぶりはかえって周りの陰爻たちから恨まれるので、九五は行き詰まってしまい、仕方なく酒食で陰爻たちをうまく御している九二に助けを求めることになります。

 もっとも、九五は中なので、強権的な鼻切り・足切りが行き過ぎる前に、九二に任せられるので、そこまで悪くならずに済みます。

上六

上六:困于葛蘲、于臲卼。曰「動悔、有悔。」征吉。
象曰:「困于葛蘲」、未當也。「動悔有悔」、吉行也。

爻辞:蔦葛に絡まっていて、ごつごつと固いものに載せられている。「動いたらダメだ、きっと悪いことがある……」と云っているが、動いたほうがいい。

小象伝:「蔦葛に絡まっている」とは、かなり危ういところの六三との腐れ縁。「動いたらダメだ、きっと悪いことがある」と云うけど、出て行ったほうがいい。

 こちらの「葛蘲かつるい(蔦葛)」というのは、いつまでもしんねりと絡みあっている六三・上六の長年の関係です。六三・上六は応になっていませんが、間の陽爻を蔽うために組んでいます。でも、六三はかなり危うい中にいるので、あまり頼れる感じもしません。

 そして、すぐ下にはやたらと威を奮っている九五がいるので、「臲卼げつごつ(ごつごつと固くてするどい)」があります。そんなところで、六三と組んで陽爻を蔽いながら、「ここを離れたらきっと悪いことがある……」と云っていますが、実はもう離れたほうがいい――としています。

 この沢水困は、蘇軾の中でも、とりわけ爻の関係が複雑なのですが、それぞれの爻の内面までみえるような爻辞・小象伝の解釈が、すごく魅力的だったりします。

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翠霞
周易が好きなので、いろいろな易の魅力を感じられるようなサイトにしていきます♪中国文学だったり漢服なども好きです

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