「翠霞の易サロン」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、『東坡易伝』での雷沢帰妹の解釈をのせていきます。ちなみに、「帰」は“嫁ぐ”です。昔の習俗では、姉が嫁ぐときに、幼い妹も側室として嫁ぐことがあったので、「帰妹」は“幼い妹が嫁いでいく様子”みたいになります。
全体の意味
雷沢帰妹は、それぞれの爻が「姉妹で嫁いでいく様子」になっています。下卦では、六三(兌の卦主)が姉になっていて、初九・九二が妹たちになっています。
上卦では、六五が姉で、九四が妹です(震の卦主は九四なのですが、爻辞をみると六五が姉になっているため。上六については、なぜか出て来てません。この未整理感が、周易の不規則な不思議さです……)
そして、上卦・下卦どちらも「姉妹一緒に嫁いだゆえのごたごた」がどことなく匂っている――みたいになっています。ちなみに、そういうごたごたを含んでいるので、帰妹はたまに用いるくらいなら良いけど、いつも用いるとあちこち歪みが出てくる――とされています。
初九
初九:帰妹以娣。跛能履、征吉。
象曰:「帰妹以娣」、以恒也。「跛能履」、吉相承也。
爻辞:妹が一緒に嫁いでいく。足の悪い姉の足になるので、嫁ぐのが良い。
小象伝:「妹が一緒に嫁いでいく」というのは、姉妹の身分ゆえ。「足の悪い姉の足になる」というのは、姉のために仕えること。
初九・九二は、どちらも六三(姉)に従って嫁いでいく妹たちです。初九・九二は陽爻なので、みずから動くことができますが、六三は陰爻なのでみずから動けません……。なので、初九が代わりに足として歩いてくれる――みたいになっています。
初九はこんなふうに、足の悪い姉を支えられるので、一緒に嫁いでいくのが良いです。
九二
九二:眇能視、利幽人之貞。
象曰:「利幽人之貞」、未変常也。
爻辞:目が悪くてもみえるので、ひっそりと姉を支える。
小象伝:「ひっそりと姉を支える」というのは、姉妹の間ゆえ。
こちらの九二も、同じく六三を支えている陽爻です。九二は、六三(目の悪い姉)の代わりに目になっていて、ひっそりと側で姉を支えます(幽人:ひっそりと隠れている人)
なので、六三は初九・九二のふたりの妹に支えられながら嫁ぎ先で暮らしていけるので、幼い妹たちが侍女のようになっています(でも、実際の生活では妹たちがほとんど代行するくらい、役割が大きいです)
六三
六三:帰妹以須、反帰以娣。
象曰:「帰妹以須」、未當也。
爻辞:妹たちはふつうの侍女だと思った後に、妹として大事にする。
小象伝:「妹たちはふつうの侍女だと思う」とは、妹として重んじないこと。
六三は、初九・九二(妹たち)の支えで暮らしているので、ふつうの侍女のように妹たちを低く扱ってしまうと、みずからの身の周りのことが途端に行き詰まります(代わりに歩いたり、見てくれる妹がいなくなるため)
なので、もし妹たちをふつうの侍女の如く扱って、実はすごく大事だったことに気がついたあとは、もう一度 側室として重く用いて、近くに置いておくようになる――という雰囲気です(ちなみに「須」は、位の低い侍女のこと)
こんなふうに、下卦では、初九・九二が六三を支える――という関係になっていて、一緒に嫁いだ妹たちが姉を支えているタイプの帰妹です。
九四
九四:帰妹愆期、遅帰有時。
象曰:「愆期之志」、有待而行也。
爻辞:一緒に嫁ぐつもりの妹だけど、まだ今じゃないと思っている――。
小象伝:「まだ今じゃないと思っている」というのは、姉の婚儀が少し延ばせるかもなので。
九四(妹)は、六五(姉)と一緒に嫁ぐ予定ですが、震の卦主になっていて、四爻(卦のなかで二番目の権勢をもつ)にある陽爻なので、なかなか六五にあっさりと従いません……。
婚儀を引き延ばしたがる――というのは、たぶんもっといい婚礼衣装などができるまで粘りたがる感じかもです。
六五
六五:帝乙帰妹、其君之袂、不如其娣之袂良。月幾望、吉。
象曰:「帝乙帰妹、不如其娣之袂良」也、其位在中、以貴行也。
爻辞:殷王の娘が嫁ぐ。その衣は、着飾った妹ほどではないが、月がきらきらと明るいような婚儀なので、吉。
小象伝:「殷王の娘が嫁ぐが、その衣は着飾った妹ほどではない」とは、中にあって、とても貴いので。
六五は、雷沢帰妹の全体でもっとも高い位にあるので、「帝乙(殷王朝末期の王)の娘」とされています。六五(姉)の衣は、九四(妹)の衣ほど煌びやかでない――は、たぶん九四(陽)は煌びやかに着飾っていて、六五(陰)は位は高くても落ち着いている感じです。
そして、「月幾望(月がきらきらと明るい)」というのは、すでに位の高い六五(姉)に加えて、さらに華やかな九四が一緒についてくるので、月(陰)がすごく明るい(陽)みたいに、六五(陰)に九四(陽)がさらに錦上に花を重ねている様子の喩えです。
というわけで、六五(姉)と一緒に九四(妹)はついてきますが、どこか不服な気持ちも抱えているのが、帰妹の禍根を残す感じになっています。
上六
上六:女承筐、無実。士刲羊、無血。無攸利。
象曰:上六「無実」、承虚筐也。
爻辞:妻が籠を提げていても、中身が入っていない。夫が羊を切っても、血が出てこない。もろもろと行き詰まる……。
小象伝:上六の「実が入っていない」とは、籠が空なこと。
帰妹の上六は、さきほどの二つの帰妹劇のはずれに一人で佇んでいて、帰妹劇の行く末をみています。いろいろな歪みを隠したままの婚儀は、のちに大きな歪みになっていくかもしれないのを知っている――という人が、この上六です。
ちなみに、中国の祭祀では、お供えで糸だったり羊肉を用いるのですが、糸を出さない蚕や既に死んでいる羊を用いると、妻の提げている籠には糸が入っておらず、夫の切った羊からは血が出ない――のような薄暗く不気味なことになるのかも……という比喩です(筐:竹籠)
というわけで、帰妹は幼い妹も一緒に嫁ぐので、それに合わせていろいろな歪みが出たりして、ひととき用いるのはいいけど、何度も用いるのは不穏な歪みが大きくなるかもしれない――というのが、蘇軾の解釈です。
すごく余談ですが、個人的に九四の“着飾った妹が、やや婚儀を先延ばしに引っ張りたがる”みたいなところが、すごく内面まで感じさせる気がします(蘇軾の爻って、ひとつひとつ生きている感がある笑)